幸せの基準
幸せ〜と〜は♪…最近backnumberの「瞬き」を聞くことがあった。
本歌では毎日の繰り返しではなく大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだと歌っている。 全くその通りだ。
前のブログでも書いたように幸せは繰り返される日々の中でちょっとしたいつもとの違いに見いだせると書いた。
現実ではどうだうだろうか、繰り返される日々の中で今まで感じていた楽しさは感じなくなり、より良いものを貪欲に追い求め…幸せは感じなくなっていく。
結論から言えば全ての人は幸せの中にある。少し信仰的な考えになってしまうかもしれないが、幸せは神が与えるものではなく、自分の考え次第でどうにでもなるものだ。
例えば、貧困地域の少年は私たちに比べたら不幸かもしれない。ただその少年が家族といられることに幸せを感じていたのならどうだろうか、
現状に幸せを感じられていない私たちよりは結果的に幸せなのだ。
人が財政的に裕福なのかは身につけるものや食べるものなどで判別出来るだろう。ただ心の裕福、すなわち幸せはどこにいてもどんな状況だろうと感じられるだろう。
私が伝えたいのは1つ、今の現状より上を見るから幸せを感じなくなってしまうということだ、何も下を見て満足しさらに成長しようとするなと言っている訳では無い、
上と比べて自分にもあるものを見失うなと言いたいのだ。さらに良くなろうというのは当たり前の考えだ。
ただ、その目標を持ちながらも成長の中で、初心の頃の物事に対する感謝や喜びを時折思い出し、その成長度合いに驚き、また成長できたことに喜んで欲しい。
幸せは常にそこにある、ただそれを見つけられていないだけ、目標に覆い隠され見えなくなっているだけなのだ。